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福知山光秀ミュージアム 特別展 第2期

佐藤太清記念美術館2階では、福知山光秀ミュージアムを開設しています。「麒麟がくる」大河ドラマ企画展、特別展示「明智光秀と丹波と丹波福知山」でドラマ関連の展示や映像、明智光秀に関連する重要資料などを公開しています。 会期は、令和2年1月11日から令和3年1月11日までとなっています。


特別展 第2期  2月21日(金)から3月22日(日)まで


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「織田信長禁制」、「斎藤利堯禁制」、「羽柴秀吉禁制」、「豊臣秀吉画像」など


織田信長が永禄10年(1567)に千手堂に宛て、境内の占拠や放火などを禁止した禁制(きんぜい)には、信長の花押(麒麟の麟)が据えてあります。

 斎藤道三の子・利堯(としたか)が、本能寺の変直後の天正10年(1582)6月4日付で、同じく千手堂に発給した禁制は岐阜城下の動揺を抑える意味があったものと思われます。

 そして、天正10年(1582)12月日付の羽柴秀吉禁制は、「清洲会議」

の後に織田家中の主導権を握って、岐阜城下周辺を制圧したことを示しています。

 このように、領主の変遷によって同じところに禁制を発給するのは珍しいことではないですが、今日に残っているのは貴重な資料といえます。



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織田信長朱印状」、「羽柴秀吉書状」、「明智秀満書状」「筒井順慶書状」など

この織田信長朱印状の印判は著名な「天下布武」です。明智秀満書状には、光秀の居城であった坂本城(跡地は滋賀県大津市)の普請内容が記されていて、秀満が指揮を執っていたことが分かります。

 また、筒井順慶書状も伝わっている書状も少なく貴重です。同じ大和の国人・細井戸氏に対して鮒ずし贈答の礼状が記されています。

 さらに、羽柴秀吉書状は天正10年(1582)6月26日付で滝川一益に宛てた手紙で、明智光秀を山崎の戦いで討ったことなどを書き、翌日に行われた「清洲会議」を有利に進めようとする気持ちが表れています。

 


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